日本刀 刀 水心子正秀(花押)(刻印)(初代) (志津写)(新々刀最上作)
文化十年二月日
katana [suishinshi masahide BUNKA 10] (kaou) (carved seal) (1 generations) (sinsintou saijou-saku)
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日刀保 特別保存刀剣 NBTHK Tokubetsu Hozon |
品番:1610-1110 |
朱塗鞘打刀拵付き 白鞘入り |
刃長 Blade length(HA-CHOU) | 61.8cm(二尺〇四分) |
反り Curvature(SORI) | 0.8cm |
元幅 Width at the hamachi(MOTO-HABA) | 3.24cm |
元重 Thickness at the Moto Kasane | 0.66cm |
鎬重 | 0.69cm |
先幅 | 2.33cm |
先重 | 0.50cm |
茎 | 生ぶ | 国 Country(KUNI)・時代 Period(JIDAI) | 武蔵国 江戸・江戸時代後期 文化十年 musashi edo : The Edo era latter period. BUNKA 10 (1813) |
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登録 |
福岡 第887号 平成27年8月20日 |
鑑定書 |
財団法人 日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣鑑定書 平成二十八年二月四日 |
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【コメント】
水心子正秀は始め英国と銘し、安永三年に秋元家に抱えられて藩士となり、川部儀八郎藤原正秀に改めている、また正日出あるいは正日天と切ったものもある。
水心子と号し、文政元年に子の貞秀に正秀の名を譲り天秀と改名する。
水心子正秀は新々刀期における一大教育者として門下には、細川正義、大慶直胤、長運斎綱俊、等の多くの逸材を輩出し、新々刀期を切開いた新々刀期を代表する名工です。
作刀は、寛政・享和年間(1789~1804)には、津田助広写しの濤瀾刃や井上真改写しなどの大阪新刀を写した華麗な作刀を数多く製作しました。
寛政頃から、古に立ち戻ろうとする復古思想が興隆し、故実の研究が盛んとなります。
文化八年(1811年)、正秀は、鎌倉・南北朝時代の古作を作刀の理想とする『刀剣武用論』を著します。この前後から正秀の作風は、著しく変化します。
それ以前の作刀は大坂新刀を写した沸出来で焼幅の広い刃文を焼いていましたが、文化・文政年間頃には古作相州伝や備前伝の景光や兼光に範をとった作刀が多くなります。
本作品は古作相州伝、志津に範をとった作で、正秀の高度な技量を十分に示した、生ぶ茎で地刃共に健全な水心子正秀を代表する優作です。
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販売済 Sold |
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