【コメント】
吉原国家刀匠は新作名刀展に於いて数々の特賞を受賞し、昭和57年に37歳にして刀匠の最高位である無鑑査となり、東京都無形文化財保持者に認定され、また、全日本刀匠会会長にも就任される。
本名吉原荘二、笠間繁継門人、東京都葛飾区西永元。
昭和20年2月17日に吉原将博(二代国家)の次男として生まれる。
祖父に初代:国家(勝吉)、父に二代、国家(将博)、兄に吉原義人刀匠がいる。
当短刀は国家刀匠が三代目国家を襲名する前の荘二銘で打たれた作品ですので、昭和57年(1982)以前の作品です。
その後、登録証は令和3年に再交付されています。
【吉原荘二刀匠略歴】
【昭和41年】「財」日本美術刀剣保存協会主催第二回新作名刀展に初出品、努力賞を受賞。
【昭和45年】奨励賞を受賞し、賀陽恒憲殿下より恒家銘を受ける。
【昭和46年~56年】毎日新聞社賞・文化庁長官賞・寒山賞などの特賞を十一年連続受賞。
【昭和57年】「財」日本美術刀剣保存協会、新作刀展覧会無鑑査に認定され、三代目(刀匠)国家を襲名。
【平成3年】「財」日本美術刀剣保存協会、刀剣研磨外装研修会(鍛冶研ぎの部)講師を委嘱される。
【平成7年】全日本刀匠会常務理事。
【平成9年】新作刀展覧会審査員を委嘱。
海外での作刀実演なども行っており、映画「ラストサムライ」には刀鍛冶の役柄で出演。兄吉原義人刀匠と共に日本刀剣界の重責を担っている。
※無鑑査とは。公益財団法人
日本美術刀剣保存協会が認定するもので、同協会が主催する新作刀展に於いて特賞の何れかを八回以上受賞した者、又は特賞を六回以上受賞し、その内、高松宮賞を二回以上受賞した者に対し、
同協会が認定する、併せて人格、技量共に優れている事が要される。
通常はこの無鑑査刀匠の中から「重要無形文化財保持者」(人間国宝)に推薦される。
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